ガジェットと岩とカバンと海外と

物欲まみれの浪費の日記

【JINS Classic】JINS クラシック 20's JINS×TIME 【1900年代初頭】

スズキ「せんせーい!矯正器具は浪費に入りますか!?」

 

ドン!

 

f:id:yoerjp:20181204181218j:plain

 

 

でも私は目が人一倍いいです。悪くなる気配すらありません。つまり、これは「おしゃれのための眼鏡」です。矯正を目的とした眼鏡は浪費ではないが、おしゃれのための眼鏡は浪費である。

私は目がいいのに眼鏡はたくさん持っています。隣の芝生は青く見える理論で、高校生の時、眼鏡をかっこいいと思っているのに、目が悪くならないから眼鏡を合法的(非浪費的)に買えず、悔しい思いをしてきました。目が悪い人にとってはぜいたくな悩みかもしれませんが。

なので、高校を卒業したと同時に自由に使えるお金が手に入り、私は眼鏡を買いました。

そして今回、新たなる眼鏡、「JINS クラシック 20's」を購入したわけです。

 

以下メニュー

 

眼鏡へのあこがれ

なぜ眼鏡にあこがれてるかって?それは好きな音楽家や哲学者が眼鏡をかけているから。憧れに近づくには見た目からって言うでしょ。

まず、私は泣く子も黙るジャズピアニスト、Bill Evansを敬愛しています。なので、はじめはべっ甲(柄)フレームの眼鏡を買いました。あいにくピアノは弾けないので、これをかけてキーボード(パソコンのほう)をBill Evansのように弾いています。これもJINS クラシックでした。たしか。

 

しかし、私が尊敬する哲学者はまるぶちをかけてるイメージなんですね。

例えば、ドイツのヴァルター・ベンヤミン。

f:id:yoerjp:20181204174946j:plain

(画像引用元:https://www.goodreads.com/author/show/1860.Walter_Benjamin)

 

かっこいい。

 

しかし、顔写真を見てみるとそんなにいない。

アドルノの眼鏡は違うし、ハーバマスも違う。フーコーも違うしボードリヤールも違う。

マッハと西田幾多郎、九鬼周造はぎりぎり・・・?

ウェーバー、ハイデガー、カッシーラー、ソシュールらはもはや眼鏡かけてない。

みんなかけてるイメージだったのに。

 

否!

ベンヤミンと(ほぼ)おそろいというだけで満足だ。

ちなみに、髭も生やしてます。これでますますベンヤミン。

 

JINS クラシック 20'sとは

f:id:yoerjp:20181204181655j:plain

この眼鏡は、名前の通り1920年代に存在したスタイルの眼鏡を再現しています。特徴は、まるぶちであり、縄手を持っていること。

 

f:id:yoerjp:20181204181750j:plain

縄手とはこの部分のことで、これを耳に巻き付けるようにして着用します。そうすることで、より高いフィット感を得ることができます。もとはといえば乗馬などの激しい動きに対応するためでした。

 

f:id:yoerjp:20181204181929j:plain

そして装飾が施されています。JINSの公式サイトにはこの装飾が、1920年ごろの時代の一つの特徴だと書いてあります。

しかし、私はドイツの眼鏡店や蚤の市などで本物のヴィンテージをたまに見るのですが、装飾が施されているのはまれなような気もします。おそらく上流階級用なのですかね。でも個人的には好きなので良しとします。

 

f:id:yoerjp:20181204182213j:plain

うーん、かっこいい

 

付け心地と総評

JINSの公式サイトのレビューには付け心地が悪い、鼻に一直線の線が残る、耳が痛いなどのレビューが見られます。この中で私が感じたのは、鼻に一直線の線が残る、という点くらいで、あとは感じません。

むしろ付け心地はいいほうで、しっかり耳の後ろにフィットし、多少激しい動きをしても絶対にとれないような安心感があります。私は個人的に鼻パッドが死ぬほど嫌いなので、一直線の線が残るってもいいからフレーム一体型がいいです。

まあこの辺りは個人差がありますね。たまたまフィットしただけです。試着必須です。

 

見た目は最高にかっこよく、私にはすごくフィットしました。1900年代初頭のファッションを目指している私にはマストアイテムだったと思います。

 

そのあたりの時代が好きな人は要チェックです!

 

余談:ノスタルジアについて

ここまで読んでもらったらわかるように、私は端的に言ってノスタルジックな人間です。1900年代初頭の時代を好んでいますし、もっと言えば過去を愛しています。

映画「ミッドナイト・イン・パリ」である人物がこう言いました。

 

「ノスタルジーは拒絶だよ。苦悩する現代への。”黄金時代思考”とでも言うべき拒絶だ」

 

これは一部正しく、一部誤りです。

確かに現在、「昔は~」論調の人間に対して非常に冷ややかな反応をする人が多いです。私の世代である20代は特にそうです。大半の人は、「昔は昔」といってばっさり切り捨てますが、しかしその中にも確実に、学びの要素、未来へのヒントがちりばめられているのではと思います。

歴史や過去を学ぶことに対して、「過去じゃなく、今と未来をみよう!」なんて言って切り捨てるのは非常に愚かな誤りだと思います。なぜならば、人は未来への妄想からは何も学べないからです。何かを学ぶとき、それは過去に起こった事象からしか学びうることはできない。

過去に人間が積み上げてきたものや、犯した過ちなどを鑑みることでしか人はより深く学べない。それをせずに未来はこうなっている、こうあるべきだ、というのはただの妄想です。

なので、ノスタルジーは拒絶ではなく進歩なのでは、と思います。最も、多くのノスタルジックな方々は未来を考えていない、過去を妄想するだけで終わっているのが問題ですが。それが「昔は~」論調に対する拒絶ですね。しかしそれは受け取る側の姿勢で何とでもなります。

私は、思考も服装も過去にとらわれ、そこから何かを学びたい、と思っています。

 

ビスマルクはこう言いました。

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

 

と。

原文が

Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

なのではっきり言って誤訳ですし、ビスマルク本人が言いたいこともほんとにこれか、と思いますが、私は誤訳のこの文言が好きです。

 

ではでは。